最後の1個「百菜の王」
- 2021/02/06
- 20:08
家人の誕生日、用意してあった寿司にもう1品加えようと、近くの中華料理店から唐揚げを買ってきた。私が刻んだキャベツを添えて骨董の皿に盛った。このキャベツが私にとってはこの食卓の主役だった。
実はこのキャベツ、昨年暮れに収穫してかずっと冷蔵庫にしまい込み、価値ある出番を待っていた。というのも、私がこれまで20年間栽培してきたキャベツの、恐らく最後の1個だからだ。
コロナ禍で今年はまだ山梨に行っていないが、畑の寂しさは想像できる。例年だともうすぐ春キャベツの収穫だが、いま畑には取り残しの白菜とネギしかない。桜の散るのを待って山梨から撤退する予定だから、新しい野菜は植えていないのだ。
私は子供の頃から母親の好みで毎日青虫のようにシャキシャキバリバリの食感に親しんできた。私にとっては「百菜の王」。結婚後もキャベツなしの日はない。「キャベツのお代わりできます」のとんかつ屋では2回お代わりして従業員を驚かす珍しい客だ。
新聞社で第一線を離れ休日には自分の時間が持てるようになった20年前、庭のプランターにキャベツを2個植えた。それが我がキャベツ栽培の始まり。山梨で半農生活に入ると、シーズンごとに20個、30個と植えてきた。
キャベツを無農薬で栽培すると、アブラナ科を好むチョウが卵を産みつけ幼虫が食害する。防虫ネットを張るが、ナメクジは防げない。アブラムシもネットをくぐって大繁殖する。虫は手で駆除するしかない。
それだけの手間を掛ける価値はある。農薬の苦みがあるスーパーのキャベツとは違い、すっきりした味わい。何より安心して食べられる。
最後の1個はもともと小さかったから、上の数枚をむいて唐揚げに使ったら、手の拳ほどに縮まってしまった。それをまた冷蔵庫に安置して延命を図っている。食べてしまうのはもったいない。でも食べなければもっともったいない。ジレンマに苦しんでいる。
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